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誰も知らないのその後について思う

映画「誰も知らない」は1988年に起きた「西巣鴨子供4人置き去り事件」をモチーフに作られている。
事件のモデルとなった母親も、子ども達(といっても、成人している子もいるだろう)も、おそらく生きているであろう。
その人たちが、自分がモデルとなった映画が作られ、公開され、(カンヌで賞を取り)といったことを知ったとき、どんな「感情」をもつのだろうか。
おそらく、それは僕が死ぬまで抱くことのない、僕には名付け得ぬ、理解することのできぬ感情だと思う。

極端な話、ソーシャルワーカーに必要な他者理解の姿勢・能力とは、自分には理解できない感情が存在することをうけいれて、それでもなお漸近線的にその感情を理解しようとする、理解しようとする姿勢を相手に示すことだと考える。

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ソーシャルワーク」カテゴリの記事

コメント

hitoさん、コメントありがとうございます。
これからも、いろいろコメントしてくださいね。

「どんなときにでも、できることはある。」と思えることは人間が生きて行く上でとても大切なことだと思います。V.フランクルなどはどんな極限状態においても、そのことが大切であるし、人間にはそう思えることが可能だというのを著作の中で述べてます。mixiにもコミュがある池田清彦さんの本では「立派に死ぬことは難しくない。正しく生きることこそ難しい」という言葉が出てきます。(池田先生も又聞きらしいですが。)ちょうどがん患者のセカンドオピニオンに関する文脈でできてた言葉なので、思い出しました。
社会福祉の文脈ではよく「共感的理解」とか「相手の身になって」などということばが簡単に使われるのですが、その言葉の簡単さによって、いろんなことがごまかされてしまうと思うのです。
相手が自分とは異なる存在であること、援助者には理解できない部分を持っていることを認めてはじめて、クライエント、ケースの存在を認めて、尊重してかかわれると思うのです。なかなか難しいですが。

投稿: まて | 2004/09/11 17:17

同感です。

あ、初めまして。hitoと申します。
福祉コミュから来ました。
社会福祉に関心のある看護学生です。

印象に残っている言葉があります。
治る見込みのないがん患者に医師が告知を行なう場面で、

「あなたの癌を治すことはできません。
しかし、あなたのためにできることはあります。」

というものです。
そして、ありのままの気持ちの表出を促しながら、
一緒に考えながら、共に必要なことを探していくのだそうです。たとえできることが本当にささいなことでも、
“できることはある”と断定する言葉に、望みを探す姿勢や、
共に荷を負う意思/責任感というか、安心感を感じるので、とても気に入っています。

私も、自分には理解できない感情の存在を認めた上で、
それでも、その感情を理解しようとする姿勢を相手に示すこと、“一緒に”考える準備があることを示すことから、
相手との距離を近づけていきたいと感じています。

投稿: hito | 2004/09/11 12:48

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