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ジョゼと虎と魚たち

 久しぶりに映画を見ました。
 いつもオーケストラが練習しているホールにチラシが入っていて、そのチラシを1枚もらってパソコンの横に置いておいて、見に行こうと思っていたら、昨日が最終日だったのです。チラシから池脇千鶴と上野樹里が呼んでいたのでした。
 見にいったのは「ジョゼと虎と魚たち」という映画。
 下半身不随の女の子が出てくる映画でした。そんなつもりはまったくなかったのだけど、「福祉課の人」というせりふが出てくるたびに「福祉課の人」としては、心拍数が上昇していました。世間の人が、「福祉課の人」っていうものに対して持っているイメージってこんな感じかななどと考えながらみていました。
 「福祉」という言葉一つとっても、ものすごくたくさんの意味や価値がイメージがあるわけです。あたりまえだけど。私は「福祉」という言葉はとても苦手で(簡単に福祉という言葉を使う使い手に対しての不信感も含めて)、ふだんはあんまり使いません。
 映画≠日誌というサイトでも取り上げられていたので、そこでの批評も読んでみました。
 「交換」ということでいえば、その批評でも取り上げられたシーンで、妻夫木くんをジョゼにとられた上野樹里が、ジョゼのほっぺたをたたくシーンがあります。ほっぺたをたたかれたジョゼは、上野樹里のほっぺたをたたこうとして、右手を差し出します。上野樹里はジョゼがほっぺたをたたきやすいようにほおを差し出し、たたかれます。だけど、上野樹里はもう一度ジョゼのほっぺたをたたくのです。それに対してジョゼはたたき返さない。

 もうすぐ公開が終わりそうです。DVDも出るようですが。機会があればご覧あれ。

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ぼやきます

今まででも十分ぼやいているではないか、という批判はさておき。
Weblogでも日誌でもこれまで以上にぼやくことにしました。
いっそのこと、ぼやくページだけ別に作ろうとも思ったのですが、そんなにきれいに器用に住み分けすることもできないので。
ホームページを立ち上げたきっかけも、自分の好調不調の変化を記録したいというのが第一の理由だったのです。(だったら、自分でノートに日記でも書いておけばいいじゃないかとうことなのですが、やはりひとにはなしをきいてもらいたいのだなあ)。最近どうも、「どういう風に読まれているか」を気にしすぎて、「あんまりぼやきすぎてもなあ」とぼやくのを抑制しすぎた気がします。
かなりディープなお友達しか読んでいないと思うので、そんなこと気にすることもないとも思っていたのですが、意外と「気にしい」なんで、知らず知らずのうちに控えめになっていたようです。
ということで、6月の梅雨の気配とともに、ぼやきモードを加速させていただきます。
宣言するほどのことでもないか。

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治療の場・回復の場というタイトルの愚痴

 きゃろるの日誌を読んでいて、「そうそう、飲みはさし飲みか、3人で飲むのに限るよな」と共感していた。以前ほどお酒そのものを飲むことに対する欲求は低下していて(そりゃーアルコールは好きだけどさ)、しゃべりたい相手としゃべる機会を求めて、飲むことが多い。そうなると必然大人数の飲み会ではストレスが多いわけです。
 先日、あまりにものやる気のなさにお医者さんにいって、お薬を処方され、この日曜日にはカウンセリングも受けることになった。
 以前は、職場の人との会話や、友達との会話の中で、その分の(薬やカウンセリングの分の)助けをしてもらっていた気がする。勉強会とか研究会とかそういう半分公式なものもそうだし、飲み会やちょっとした職場でのおしゃべりでも十分助けてもらっていた。だから、精神的に不安定で不安を抱えていても受診を決意するところまでは行かなかったのだと思う。
 この前、社協の人たちと飲んでいたときについつい「職場の人と共通言語でしゃべれない!」とぼやいてしまったのだが、そういう事態って、けっこう自分にとってストレスだったのだろうなと思う。考えてみるとオケの件でも「常識が通用しない!」とぼやいているわけで、公私ともども同じようなストレスをかかえていたわけだ。自分の共通言語や常識が大したことがないことは十分自覚した上で、それでもそれらの共通言語や常識が通用していた世界から、そうではない世界に移り住んで、そこでメンバーの一員として以上の役割を果たさなくてはいけないというのは、確かにしんどかったのかも。

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